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静学ブログ

2019年12月24日

SGT教養講座 Global Communication 第2回小二田誠二先生との 対話 -静岡ハリストス正教会のイコンと山下りん-

 12月7日(土)、放課後を使い、静岡ハリストス正教会のアークホールを会場にSGT教養講座 Global Communication 第2回小二田誠二先生との対話 -静岡ハリストス正教会のイコンと山下りん-が行われました。講師は、静岡大学人文社会科学部言語文化学科教授の小二田誠二先生です。Christmas seasonを前に美術部の高校生を中心に12名が参加しました。

 静岡ハリストス正教会は、明治10(1877)年に東京から派遣された伝教師パウエル小山氏から始まり6年後に人宿町に静岡教会会堂を新築、その後会堂消失のため仮会堂を転々とし、明治38(1905)年に静岡県よりハリストス正教会の認可を受け、明治44(1911)年に本通5丁目に新会堂を建築します。しかし昭和11(1936)年に国道拡張のため移転を迫られ、昭和34(1959)年に現在の春日町に会堂を新築後、昭和34(1934)年に聖堂(生神女庇護聖堂)を建立しましたが、平成29(2017)年に旧聖堂の老朽化により立て替えられた新聖堂が建立され現在に至っています。

 この聖堂に日本人初の女性イコン画家山下りんが描いたイコンが飾られています。イコンとは一般にキリストやマリアを描いた聖像画を意味します。古来、ギリシア正教会から始まりロシア正教会を中心とした正教会に引き継がれ平面に書かれたイコンは正教会を代表する伝統的な宗教画でもあります。

 今回は、小野神父様による正教会の歴史についての説明、学び支援課課長の山本による山下りんの生涯についての解説、小二田先生から聖堂の基本的構造と過去の活動、旧聖堂の解体と新聖堂の建立、明治から現在に至るまでこの教会が所蔵していたイコンがその後どのような歴史をたどっているのかについての講義、最後に聖堂内のイコンを小野神父様の解説で鑑賞するという流れで進みました。

 正教会は、中学生の地理の資料集や高校の世界史Bの教科書でも取り扱われているようにキリスト教の三大宗派の一つで東方正教会とも呼ばれています。現在のトルコのイスタンブールを中心に東ヨーロッパに広がり、ロシアにその中心が移りましたが、日本には幕末に日本の函館にやってきたニコライによって伝えられたキリスト教の一派です。彼は同志社大学の創立者となる新島襄から日本語を学んでいます。カトリックやプロテスタントと比べ日本ではあまり知られていない正教会ですが、「東洋のシンドラー」と呼ばれ、第二次世界大戦中にリトアニアの日本領事代理として赴任し「命のビザ」を発行しナチスによる迫害から多くのユダヤ人を救った杉原千畝は、正教徒です。

 山下りんの生涯と作品については、NHKの『新日曜美術館』や民放の『美の巨人たち』でも取り上げられたり、玉川学園大学の教育美術館で行われた展示会をご覧になられてご存知の方も多いかと思います。

 りんは、日本人で最初の女性イコン画家です。安政4(1857)年に常陸国笠間(茨城県笠間市)に生まれ、昭和14(1939)年に81歳で亡くなりました。幼い頃から絵を描くことが大好きな子どもとして育ったそうです。7歳の時に士族であった父が亡くなり、貧しい家庭に育ったりんは15歳の時に農家に嫁に出されることになります。この話を聞いたりんは、大好きな絵の勉強が出来なくなると思い、東京の親戚を頼って家出します。片道約100kmの道のりを歩いて行ったということですから彼女の絵を学ぶことに対するこだわりは、人一倍強かったのかもしれません。りんは、その後再び家人を説得して上京し浮世絵師や日本画家、洋画家の家に住み込みで働きよき師ではないと判断すれば次の師を求め、さっさと次の師のもとに移るという生活を送っていました。決断したら即実行というのがりんの性分だったようです。

 明治11(1878)年、りんは正教会の洗礼を受けています。工部美術学校時代の友人山室政子の紹介でりんは正教会に通うようになっていましたが、そこで伝道者として東京にやってきていたニコライと出会います。ニコライは、正教会の布教のために必要となるイコンを描く画家を養成する必要がありました。当初、ニコライは山室をロシアに留学させイコン画家として育てるつもりでしたが、山室が結婚してしまったため山室に代わる人材を探す必要がありました。聖堂にあったイコンの美しさに触れ、大好きな西洋の絵画を学ぶことを志していたりんにニコライは白羽の矢を立てます。りんはロシア語を学んでからロシアに留学することを希望していましたが、ニコライの強い勧めもあり、明治13(1880)年、単身ロシアに留学します。

 りんは、ロシアのサンクトペテルブルクにあるノヴォデヴィチ女子修道院でイコンの制作技術を学びますが、当初5年の予定であった留学を2年で切り上げ帰国してしまいます。りんは、カトリック圏で描かれる遠近法を取り入れた聖母子像を描きたかったのに対し、彼女が「ヲバケ画」と呼ぶ平面的で伝統的なイコンの描き方を学ばなくてはならなかったことやりんを受け入れた修道院が彼女を修道女になるためにやってきた日本人として教育しようとしたにもかかわらず、エルミタージュ美術館に入り浸り画家として世俗社会と交わり修道院の生活になじもうとしなかったことがあげられます。

 帰国後、りんは、しばらく教会を離れイラストレーターとして活動し自分の力で生計を立てようとしましたが、うまくいかなかったのか再び正教会に戻り付属の女子神学校のアトリエでイコンを制作します。

 彼女は生涯で300点あまりのイコンを描きました。りんの描いたイコンは、伝統的なイコンと比べどことなく日本的ではありますが、東ヨーロッパやロシアの聖堂内でみられる伝統的なイコンとは趣を異にする画風がみられます。むしろ西ヨーロッパのイタリアのカトリック教会で見られるような画風、特にルネサンス期のラファエロの聖母子像を思い起こさせる画風が漂っています。これはりんが工部美術学校時代にイタリア人の画学科教師ファンタネージに学んだことが大きな影響を与えているのでしょう。
 
 それにしても明治時代に女性がひとり絵画を学ぶためにロシア渡り、留学するなど現代よりもさらに男性中心だったこの時代に海外に飛び出すなど絵画に対するりんの旺盛な意欲を感じます。それはまさにGlobalに活動しようと世界に飛び出していく現代女性の先駆者のようでもあります。ただ同時にロシア留学は、現在でも起こりうるミスマッチであったことも否めません。そこが現代の高校生の進学事情や大学生の就職事情と重なるように同じ若者として生徒も親しみを感じるところではないかと思います。

 大正7(1918)年、61歳になったりんは、郷里の笠間に帰ります。前年に起こったロシア革命によりロシア国内では共産主義者の台頭により教会の破壊が進み、ロシア皇帝からの援助も途絶え日本での宣教活動が厳しくなったことも影響しているのでしょう。酒を愛したりんでしたが、晩年は白内障が進み筆をとることはなかったと言われています。

 さてハリストス正教会の聖堂とはどのような構造になっているのでしょうか。
ここからは静岡大学人文社会科学部教授小二田誠二先生が現在の聖堂の構造と旧聖堂時代に飾られていたイコンについて、かつてこの会場で学生によるイコンについての研究発表が行われた時の様子と本SGTと同じテーマでイコンの専門家をお招きし、講演会を催した時に撮影したイコンの写真をもとにお話をしてくれました。

 静岡ハリストス正教会・生神女庇護聖堂は、木造平屋建築で玄関上部に鐘塔があり、正面入口は西を向いています。玄関を入ると手前から東に向かって順に啓蒙所、聖所、至聖所と続き聖所が聖堂と中心となっており儀式を行う場所になっています。至聖所は聖遺物を安置する場所で聖所と至聖所の間にはこれを区切る壁(聖障)があります。至聖所には聖職者のみしか入ることが許されていないとのことでした。平成29(2017)年、旧聖堂が取り壊され、新聖堂に立て替えられた際、旧聖堂にあった山下りんのイコン20点が玉川学園大学に寄贈されました。寄贈にあたり教会内外でも賛否があったそうですが、聖堂の建築とイコンの修復にかかる費用が莫大なものとなるため修復を引き受けてくれる同大学の教育博物館に寄贈されたそうです。りんのイコンはここで修復され展示されています。現在、この聖堂にはりんが描いたイコンは数点しかありません。
最後に山下りんのイコンについて聖堂内を小野神父様のご案内により見学させていただき実物を拝見することが出来ました。正教会の歴史や山下りんの生涯よりもまず彼女の描いたイコンを観たかった生徒たちにとって初めて観るりんのイコンはとても心揺さぶる美しさがあったようです。参加された保護者の方も正教会とイコンの歴史について小野神父様に質問されていました。

 SGTでは本物を生徒たちに紹介するということを大切にしています。山下りんのイコンは自治体によっては市指定重要文化財にしているところもあります。残念ながら静岡市では彼女のイコンを文化財に指定しなかったようです。しかし数が少なくなったとはいえ本校の近くにこのような貴重な美術品があることは静岡市の文化を語る上で重要です。地域のことをよく知り、地域の発展のために役立てることは何かにということについて学ぼうとする意識を持つことは、地域の発展と密接に結びついた研究を行う静岡大学や県立大学などの文系学部に入学を希望する生徒にとって大切なことではないでしょうか。

 さて、今回講師としてお招きした小二田先生ついてですが、普段は江戸時代から明治初め頃の文章やそれを伝えるメディアなどについて研究したり、教えられたりしています。一方で学生たちが行う地域の研究についても深い関心を持たれています。SGT Global Communicationでは地域と世界を結び付ける人物を掘り起こし、それに関する研究者をお招きしてさらに生徒の静岡に対する興味・関心を深めていくつもりです。次回は来年度になります。お楽しみに。