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静学ブログ

2021年7月29日

SGT Global Communication 第3回 山本岳弘先生との対話

 7月17日(土)の放課後、「SGT Global Communication 第3回 山本岳弘先生との対話 静岡ハリストス正教会のイコンと山下りん」と題して本校学び支援課課長の山本岳弘先生に御講演いただきました。先生は、静岡県史編さん室に勤務されていたこともあり、県内の歴史的史跡や美術品についても造詣が深く、教会のステンドグラスやイコンに興味があるとのことでした。特に県内に3つあるハリストス正教会で現在も崇敬される山下りんのイコンはHNKや民放各社の美術品を紹介する番組でも過去に取り上げられ、日本初の女性イコン画家が描いた絵画として高い評価を得ています。

 今回は、主に彼女の生涯に焦点を当て彼女が残したイコンがどのような背景をもとに描かれたのかをお話いただきました。山下りんは、江戸時代の終わりの安政4(1857)年に現在の茨城県笠間市に生まれ、明治政府がイタリア人のお雇い外国人教師を雇い、開校した工部美術学校に入学し、そこでアントニオ・ファンタネージと会います。彼女は、ファンタネージを通じてヨーロッパのリヨン派、ロマン主義、印象派の画風を学びます。ファンタネージは、その後日本を代表する洋画家となった中丸清十郎などに大きな影響を与え、教育者としても大変有能な美術教師だったようです。しかしファンタネージは、脚気が悪化したため明治11(1878)年、工部美術学校の職を辞し帰国してしまいました。後任として同じイタリア人教師が採用されますが、りんやその他7人の学生たちは、ファンタネージに心酔していたためその指導を受け入れず、工部美術学校を退学し、十一会を結成しました。りんもその退学者の1人でした。

 その後、りんは山室政子との出会いによってハリストス正教会に入信し、大主教ニコライの紹介でロシア帝国の女子修道院に留学し、そこでイコンの描き方を学ぶことになります。しかし彼女が憧れたのは、遠近法のないギリシア・ビザンツ風のイコンではなくローマ=カトリック教会内に掲げられているような西洋風の宗教画でした。りんは、ハリストス正教会に掲げられたイコンを『ヲバケ画』と呼び、ルネサンス期に描かれた『イタリア画』を描きたいという気持ちに強く駆られるようになります。ロシア語もろくに話すことすら出来ず、ニコライが正教会を日本に広めるためにはイコンを専門に描くことが出来るイコン画家が必要との判断からその技法を学ぶために急いでロシアに派遣されたりんは、修道院という閉ざされた空間の中で心も閉ざしてしまいます。当初5年であった留学期間を僅か2年で切り上げ、彼女は日本に帰国してしまいます。

 彼女が描きたかった『イタリア画』とは、イタリアルネサンス盛期を代表する画家、ラファエロ=サンティのような絵画でした。彼女が初めて観たラファエロの作品は、エルミタージュにあり、彼女はこれを模写していましたが、折しもロシア帝国内で起こった国民主義の影響もあり、ロシア正教会内では西洋的な画風は全く受け入れられず、彼女がエルミタージュに行くことさえも禁じられてしまい、彼女は心を閉ざしてしまいました。

 帰国後、りんは、日本正教会の女子神学校にアトリエを構えイコンを描くことになります。それは平面的で伝統的なギリシア・ビザンツ風のイコンとは異なる西洋風のイコンとなりました。どことなく日本的な憂いに満ちたりんのイコンは、東北地方を中心に日本各地のハリストス正教会に掲げられていきました。イコンは、本来美術品ではなく宗教画であるためりんの署名が入っているものはありません。しかし彼女のイコンは、今も大きな影響を与えているように思われます。特に現在の日本を代表するアニメの女性の主人公に大きな影響を与えている作品もあるのではないかとおっしゃっていました。

 りんは、幼い頃から絵を描くことが好きだった少女だったとのことですが、それは父が早くに亡くなり、貧乏士族の家庭で唯一許された楽しみだったからかもしれません。そして口減らしのため早く嫁に出されることを嫌った彼女なりの抵抗だったのかもしれません。しかしその絵の上手さが彼女をロシア留学へと導き、イコン画家としての道を開きました。そして留学によって彼女が本当に描きたかった画風とは何か、彼女は知ることとなりました。

 言葉の通じない異国の地の修道院でイコンを学ぶためにやって来た彼女は、修道院から馬車でエルミタージュに通い、大好きなラファエロの絵画の模写に没頭しました。しかしそれは周りの禁欲的で質素な生活をしている修道女から見ればあまりに放縦な生活に映りました。彼女は修道女たちからさげすまれ、罵倒され、嫌がらせを受けいじめられ、精神的にも全く疲弊しきった状況に置かれましたが、彼女は自分が追及する画風とは何かを考える大きなきっかけなりました。今でいうならばロシア留学は、西洋画の絵画技術を学べると考えたりんとギリシア・ビザンツ風のイコンの絵画技法を学ばせたいと思ったニコライ大主教とのミスマッチだったのかもしれません。帰国後、生活のためにイコンを描き続けたりんは、例えその要求が不本意なもので彼女が描きたい画風のイコンではなかったとしても絵筆をとり続けました。それはイコンが芸術作品ではなく、あくまで宗教的崇敬の対象であったからですが、彼女はそれでもそれらの作品の中に彼女らしい作風を数多く残しています。

 このような彼女の素晴らしいイコンが県内に3ヶ所も残っており、その一つが本校の近くにある静岡ハリストス正教会にあるということは、大変恵まれた環境にあり、テレビの映像を通してではなく、本物を間近で観て感じることが大切であると先生は最後に強くおっしゃっていました。

 次回、第4回は9月4日(土)を予定しています。お楽しみに。